「シェイクスピアの妻」
活字を読むのは 確実に
3年くらいかかる あたいが
びっくりする
結構分厚い本なのに
2日くらいで読み終わってしまった スゴイ!!
天才の妻 はどんなものなのだろう。。 と。
おもしろかったなぁ~
同じ女として しかも歳がそう変わらない次期の話から始まるから
親近感が沸くのか
とても 人間らしい 夫婦だとおもった。
それもそのはず
シェイクスピアの作品は 人々に親近感を沸かせるから人気がある
本当に人間の心の中に潜む
醜い部分や 悲しみ や 喜びを 舞台で表現するから
だから夫婦の間に起こる
たくさんの出来事も とても人間らしいの。
シェイクスピアの人間への探究心は半端なく
ものを作り上げるといった面での真っ直ぐさ
そして自分の そのものづくりへ向ける情熱への信頼感は絶対。
たとえば
自分の最愛の息子
「ハムネット」が死んだときも
『最愛の子を失う悲しみが分かった と
最愛の子を失うと母親はどうなるのかも分かった』 と
それを自分の作品につなげていく。
ある種 残酷なようにも
他人からみれば理解しがたい部分もあるのだろうけど
『そういう風に考える自分はおかしいのだろうか 。。。』とかとは
全く思わない。
「これが自分で こういう風にしか生きれない」 と断言している。
じゃぁ シェイクスピアが 妻「アン」に対して 冷たかったか。。
それは絶対なかったとおもう。
悲しい悲痛の感情も アンとの燃えるような恋の感情も
孫のエリザベスを愛くるしいと思う優しい感情も
子ども達との対立する煮え切らない感情も
人に裏切られるおぞましい感情も すべて自分の作品のネタにはしていても
酒場で女にいいよられ
世間でチヤホヤされても
アンを愛し続け ちゃんとその感情を態度で示していく。
もちろんいろんな問題もあるんだけど
すごく妻の事を想い 愛し 優しい人間だった。
ただ、人以上の名声や富を得る人というのは
たいてい、人以上の不幸もある。
根も葉もないウワサが流れたりして
シェイクスピア一家は翻弄されたりもするが
シェイクスピアはただ一生懸命生きていただけだった。
とにかく自分の才能を信じて
あふれ出る探究心から 作品につながるものを
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと 探している
それが普段の生活だから
たとえば 浮気とかそういう事をしてる暇がない
ただ 浮気をする男 誘う女というは どういうものなのか。。っていうとか
人間観察をするために 酒場にいっては
いろんな人の話を聞いたりとかはするが。
シェイクスピアってのは
「作品を書く」といった意味では 「天才」ではないのかもしれない
ただ かなりの
人間観察や客観性・探究心 それらを実行する行動力は
「天才」なのかもしれない。
だからつねに 探し 書いては消し また 書いては燃やし。。と
積み重ねていったのかもしれない。
あたいは シェイクスピアのように 評価はされていないけど
考え方に同意できた
そして そんな男を夫にもった妻アンの苦悩もすごく伝わった
それはあたいが女 だからだと思うが。
どんなに不幸な事があっても
楽しいことがあっても それが全部 うたに生かされる。
かっこいい言い方なのかもしれないけど
たまに 自分で自分が末恐ろしく感じるときがある
人と違ったことをしたいなら 人と違った経験をしなければ 絶対いけないと思う。
あたいは
「音楽の天才」ではないから。
だから 表現する ということをしている人達は
そのことだけでいろんな事が乗り越えられるからすごい。
(いい意味でも 悪い意味でも)
最愛の息子ハムネットの死は
シェイクスピアは 息子の死をも作品のネタ(←こういうと聞こえが悪いけど)
にして 後世に伝えた。
だが妻アンは息子の死は
乗り越えられない。
その違いはあまりにも大きい。
だから 音楽をやっていてよかった! とかそういうのではないんだけど
ただ、全てを何かに生かしたいと考えてしまう あたいの思考ってのは
表現者向きなのかもしれないと思った。
そしていつの世も 人はまーーったく変わらないんだなーとおもった。
感情の流れや 心理
現世代とまったくもってかわらない。
もう今から何百年も前の事なのに。
そして人が求めるものというのを まったく変わってない。
やはり 親近感のもてる
なにか自分と重なるものを感じる作品がみんな好きなんだなぁ~と。
それが多くの人の心に賛同したときに ヒット作品っていうものが生まれるんだなぁ~と。
あはー 熱く語りすぎて。。
日記がながくなっちゃった・・・
最後まで読んでくれた方は スゲーーです!
あはははあっはは♪
ありがとうございました
ぺこり。